聖夜の来訪者 

 

 

 

 

 

「おや」

 サンタクロース補助委員会本部。

 そんな怪しげな名称が普通の人間には読めない文字でひっそりと看板になっている街の一角の建物に来客があったのは、バイト員たちがすっかり出払ったばかりの深夜でした。

 さっきまでの混沌が嘘のように静まり返って、本部には人気もありません。

 その玄関先に、明らかに部外者と顔に書いた男が立っているのを見つけたのは、数少ない「居残り組」サラディンでした。元々子供も好きでなく半分は義理、後の半分は単にルシファードがはしゃぎまくっているものだからその付き合いです。舅ことマリリアードの手伝いで、集配の調整と連絡係を引き受けているのでした。

 ですから殆どの人間が浮かれて本部の担当さえ白と赤、或いは白と緑の衣装に身をかためているのに反して、彼は全く普段どおりの格好です。ただ、気候に合わせて、何枚もの厚手の布を綴りあわせた独特の衣装を羽織っています。

 異様と言えば異様ですが、東の魔女は気にしません。大体親しくしている舅にしたって、少数派に入るのです。

 けれどその衣装のせいで、来客は少し驚いたようでした。

「えっと…、ここは、その、委員会本部ですよね?」

 さんたくろーす補助、の部分を言いにくそうに。

「ええ。というかお久しぶりです、生憎ルシファードはもう行ってしまいましたよ。張り切っていましたから夜明けまでは戻ってこないでしょう」

 サラディンは眉をひそめました。

 来客は、あざやかな金髪と碧い眼をしていました。入り口できれいに雪を掃ってきたと見える外套は黒。銀糸で縫いとってあるのは、あるまじきことに教会の紋章。

「何故あなたがここに?これは聖に属する行事とはいえ、実のところ異端ギリギリ。私たちのようなものも関与していますし、れっきとした司祭がこの場にいることがばれたらまずいのでは」

 ニコラルーン・マーベリックは苦笑しました。彼が柄にもなく、第三界の存在の政治的立場について気を配ってくれるのはありがたいのですが、実のところ彼がぶっちぎりで異端だなどとはもう半ば公然の事実です。ですが。

「ええ、私もわざわざミサを抜けてきたのはまぁ、退屈だったと言うほかにもそれなりの事情があるんです。王子はいらっしゃいますか?」

「王子?ああ」

 その呼び方はあの方はお好きじゃないようですよ、と言いながら、サラディンは踵を返しました。

「いらしてください。今は星の樹と通信をしているはずです、こちらに呼ぶのは憚られますので」

 

 

 

「きゃ」

 カジャが手首をぐいと掴まれたのだ、と気づいたのは、自分の身体が後ろにつんのめってしりもちをつくところを乱暴に引きずられた瞬間でした。

「誰だ!?」

 そう問う暇もあらばこそ、月光をはじく刃物が視界いっぱいに映りました。咄嗟に左に頚を逸らすと、幾すじか白い髪がぱらぱらと散ります。それに目の色を変えて敵が手を出した瞬間を見計らって、

「無礼者!!」

「そ、その髪を貰い受ければ命まではとらないっ」

 暴漢の手から逃れたカジャは一瞬で悟りました。

「このっ、月光師モドキのチンピラが!私の髪など一本もやらんと協会を通じて申し入れただろうが!」

 

――けれど本当はリラル貝の粉なんかよりも、もっとずっと月光を溜めるのによいものをあなたは持っているでしょう?

以前旧友は、小さな魔女にそう言いました。

それは確かに本当のことです。カジャの一筋の雑じりけもない、まっしろな髪はどんな貝殻の粉より、いいえ、金剛石よりも密度の高い月光を含んであまさず取り込むことが出来ます。それは、角度も光度も測定する必要がないほどに高いレベルで。

けれどカジャは、自分の髪を切って売るつもりだけはさらさらありませんでした。その莫大な金額の交渉を執拗にしてくる月光師互助協会とやらをちぎっては投げちぎっては投げ、ここ数年は流石に相手も鳴りを潜めていたのでしたが。

「この夜は聖者たちの領域だ。この空間で揉め事を起こすつもりか!?」

「あなたが悪い、あんなにも金銀を積んだのに取引に応じようとさえしない……」

「リラル貝の相場がどうだろうか私の知ったことか!」

 イヴの月は、西の空にひっかかっています。あれが沈めば、クリスマスの朝になるのです。

 順調に贈り物を宅配して、最後の一軒でした。

「頼りの魔方陣が、すりかえられていたのか」

 軽蔑しきった瞳でカジャ・ニザリは自らチンピラと呼ばわった相手の男を見返しました。それと同時に、悟られぬように彼の可愛い仔犬が無事かと視線を泳がせます。

(――いない?)

 怯えて隠れているならいいのです。けれど、さっきのどさくさでまさか怪我をしているのではないでしょうか。

「おい、私の――」

 その瞬間背後から、カジャは羽交い絞めにされました。

(しまった、もう一人!)

 捉えられてしまうと体格的に彼はどうしようもなく不利です。元々戦闘向きではないのですから。短呪の一つや二つ仕込んでおくのだったと思っても後の祭りです。

 もう一人に髪を乱暴につかまれ、もう一度冷たく輝く刃が近づきました。

「やめ……っ、ティー!」

 逃げろ、と言おうとした筈でした。

 けれどその時、鈍い音とともに目の前の男がくずれおちました。

「ご主人様を、放せ!」

 白い髪。オレンジ色の眼。闇から忽然と現れたような痩身の青年は、カジャのよく知った空気を纏っていました。

 けれどまさか。小さな魔女は状況も忘れて瞠目しました。その空気の持ち主は、魔の気配の欠片もない仔犬のはずです。

 なのにどうして人間のかたちをして、その気配が目の前に現れているのでしょう?

「な、なんだお前は!?」

 背後からの男の声で彼は一瞬にして我に返り、小さな身体を翻して不愉快な腕から逃れます。そして懐から何かの壜を取り出し、

「あった!マリリアードにあげた残りのアレ」

 カジャを助けたはずの青年が固まりました。

 その美しいクリスマスの夜明け、雪の積もった木々の上を、無頼漢の悲鳴が行きすぎていきました……。

 

 

 

「じゃあ、ほんとうにほんとーにティーなのか?」

 カジャはその真っ白い頭をかしげて、きれいな瞳で彼を見つめました。見つめるだけではありません。

「……ご主人様、何を……」

 くるくる周りを廻って三百六十度観察。耳を引っ張ってみたり。

 ティーは何かあやしく胸がざわめくのを感じながらも、とりあえずご主人様にされるがままになっています。

「ティーならこうされるのが好きだから……えい」

「ぅああ!」

 顎の裏に無造作に軽く爪を立てられて、青年(外見)は悲鳴をあげました。

「や、やめ……っ」

「嫌なのか?」

 疑いの視線。

 小さな魔女はもう、いつもの黒い衣装に戻っています。暴漢を撃退してすぐに、友人たちの応援がありました。男たちはしかるべき機関に連行され、彼は少しだけ残念そうです。

――いい実験台になるかと思ったのに。

 けれど済んだことですし、彼は新たな不思議で頭がいっぱいになってもいます。他でもない自分の飼い犬のことで。

 実は本部に帰還して早々、

「俺が代わってベンに説明してやろーか?」

 とティーにこっそり申し出たのはルシファードですが、謹んで辞退されてしまいました。

 カジャはクリスマスの貴重な一日を四時間ばかりつぶして詳細に検証し、ようやく、

「今まで気づかなかったけど飼い犬には魔力の素質があって、それがご主人様の危険に際して昔の少年漫画のように覚醒、人間の姿に愛の力で大変身」

 そんな無理のある説明で納得せざるを得ないところまできていました。

 ふと。

 そのご主人様が自分の手を取って、そうっと頬に寄せたのに気づいて、

「ごごごごごしゅじんさま!?」

 ティーロは混乱しました。

 白い小さな手はあたたかく、頬はやわらかくなめらかです。

「……ティー」

「なっ、なんでしょう!」

 そのきれいな瞳が、ふと切なげに揺らぎました。

 唇が震えて、わずか開きます。

「肉球が……ない」

――そんなにご不満でしたか、ご主人様。

 ティーロは海より深く落ち込みながら、やけのようになって「ポン」と人のかたちを辞めました。

 

 

 

「それでは、わざわざご苦労様でした」

 白磁に金茶で、花の意匠が描かれたマグカップ。

 部屋には様々な香辛料の複雑にからんだ、精神を落ち着かせる薫りが満ちています。片隅には広間のものよりふた周りほど小さな星の樹が、神名の織りこまれた蒼いリースで飾られていました。

 昔と何も変わっていません。

 彼が教会に入れられてなかなか会えなくなる以前は、いつだって彼のところに用事でお使いに来たときには、このマグカップでココアを飲ませてもらったものです。

「貴重な一日に、わざわざありがとうございます。」

――南西の方角に異変ありと。

 ふと教会の星見の記録を探って、その報告を見つけたのは偶然でした。

 聖夜にまで飽きもせずに天体の観測を続けているのは、最近では教会の星見くらいです。もちろんこの「補助委員会本部」では、猫の手も借りたい忙しさで、そんな余分な人手を割いている余裕はありません。

 尤も、

「大したことはしていませんよ、マリリアード。実のところそこまで重要な卦ではなかったし、放っておいても大事にはならなかったのでしょう?」

 ならず者どもがちょっぴり研究熱心な魔女の犠牲になる可能性はあっても。

「実のところ、単に見てみたかっただけなんです。私は一度も来たことがなかったんですから、この世界中の子供たちに夢を運ぶイベントに」

 不満を彼の前で声に出すつもりはなかったのに、悟られたようでした。

「……広間の方ではダンスがはじまっているようですね」

 マリリアードは、静かに言いました。

「魔物魔女の諸氏と交流をしていらっしゃっても、今更構わないのではありませんか?ルシファードや、そうだ、紹介したい子もいるのですよ」

「――それは」

 司祭が口をつぐんだ瞬間、ノックの音が聴こえました。

「おや、どなたかしら」

 何故か女言葉で怪訝そうにマリリアードが立ち上がろうとする、その前に彼は立ち上がっていました。

「もうしわけありませんが、そろそろお暇いたします。マリリアード。新年の仕度がありますので」

 突然の申し出に驚かずに、

「そうですか……残念です、あなたさえよければ、また会いに来てくださいね」

 しかし本当に残念そうにマリリアードは答えます。

 蒼と金の、少し魔女たちとは方程式の違う円陣が床に浮かびます。

 教会の紋章を持つ青年は、はるか昔、彼の一族の神と呼ばれた存在に深く一礼して、瞬く間にその場から消えました。

 長い黒髪をひるがえして、残された男は一人ごちます。

「ううん――急ぎすぎましたかねえ」

 そして、扉の向こうに待たせていた来客を思い出し踵を返しました。

 

 

 

 

 

 

 

 

  

 

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