小さな犬の秘密の話
小さな魔女が起きた時、晩秋の砂漠の空に、日は昇りきっていました。 腕の中には最近の習慣で、彼の可愛い仔犬が眠っています。 「ん、――…てぃー?」 眠い目をこすりながらカジャは、そこが自分の白い家ではなくて、旧友の客房だということを漸く思い出しました。どおりで水の女たちの囁きではなく、アリエルの叫びが耳に響くはずです。 扉の向こうで既に生活のサイクルが廻り始めているのを感じて、カジャは眠気を無理矢理振り払い庭の泉で顔を洗いました。犬も洗いました。 そのまま庭からまわって外を通り、東側のテラスまで行き着くと、ガラス越しに見える友人はとっくに食事を終えたようです。 「やれやれ、年寄りの家では朝が早くて御苦労なことだ」 「何かおっしゃいましたか?」 聞かれていたと身構えるよりさきに、東の魔女の必殺グリグリがカジャを襲いました。 「い、いつの間に背後に、というか外に……っ!妖怪か君は!!」 「あなたこそ、昨日はルシファードとどれだけ飲んだのですか?ザルに付き合ってはいけませんよ、好きなのに弱いんですから。そのせいで寝過ごした挙句先程の暴言とは許しがたい」 「私の起床時間はいつも似たり寄ったりだ!い、いたたたたた」 「威張るところではありません」 「大体君は、昨夜は途中から、自分の客と使い魔を置いてどこに行っていたんだ。それを訊こうと思ったらあいつに呑まされたんだ」 「ああ…」 サラディンは白い頭からこぶしを離して、ふとテーブルにカジャを誘いました。彼の分の朝食は、まだあたたかいままです。豆のスープ、ミートパイ、金色の林檎の砂糖漬け。 「――それは失礼しました。少々、急な仕事ができましてね」 「仕事?まぁ、君も忙しい身だとは知っているが、予定外の仕事を入れるとは珍しいな」 「ええ。以前かけた呪いが、予想外の事象を引き起こしていたことが判明して……。ところで、あなたの仔犬は一緒ではないのですか?」 「あれ、ティー?」 カジャは辺りを見回しました。さっきまで一緒だったのに、おなかをすかせていないのでしょうか。 けれど朝食を終えて、周辺を散策がてら歩いても呼びかけてみても仔犬の姿が見えなくて、カジャは段々不安になってきました。 「サラっ!君の家が人外魔境なことは重々承知しているが、よもや私たちの客房の周辺にまでブラックホールが広がってはいまいな」 「そのような事実はないはずですが…なにぶん広いですからね、単に迷ってしまったのかもしれません」 小さな魔女は、その白い顔をさあっと翳らせました。 「うっかり鼻面であの部屋とかあの部屋の扉を…開けたりはしないだろうか、ティーは」 鼻面。 うっかり笑ってしまったサラディンは、旧友からむっとした視線がかえりました。 「笑うな!ティーはすごく賢くて、私の言ってることだって全部わかるし扉くらい開けるんだからな」 それはそうです。 というか何故拾って間もないただの仔犬がそこまで賢いのか疑問に思いませんかねえ、と東の魔女は思いましたが、 「あなたがそこまで可愛がってるなら、仕方がないですね。私も探してあげましょう」 ――どうせ、怯えて逃げているのでしょうけど。 なんだか不穏な笑みを目の当たりにして、飼い主の方もひっそりとおびえました。
ティーロは白い道を歩いていました。 貝殻で舗装された美しい道です。不思議にあかるい夜空には、柘榴石のような月と星々が瞬いています。昨日の晩には、銀色がかって煤けていたはずなのに。あんな色をしているということは、いつの間にか春になっているのでしょうか。 いや、その前にいつの間に日が沈んだのでしょう?それともついさっき朝だったような気がするのは、あれは幻なのでしょうか。 いつも当たり前のように隣にいてくれたご主人様がいないことに気づいて、仔犬は急に不安になってしまいました。小さな白い頭はどこを探しても見当たりません。春のような月に照らされて、彼は途方にくれました。 「違うんだなあ、その色は春の紅色じゃない。柘榴はただ一つ、真実の庭だけに実る果実だ」 「誰だ!?」 叫んで、彼は、自分が人の言葉を喋ったことに驚愕しました。 「ここはサラディンの趣味の部屋っていうか…空間だな。ちなみに、俺が使わせてもらうのは初めてなんだけど。昨日俺のご主人様がお前のところに行っただろう?生憎彼はお客の接待しなきゃいけないんでな、俺が代理ってことで」 長い黒髪の男が、目の前に立っていました。いつの間にかティーロも、人の姿をしています。白い髪の青年でした。 「その姿と、俺の顔を忘れてはいないだろ?」 もちろんのことでした。二十余年付き合ってきた自分の姿と、その自分と訣別する羽目になった理由の顔なのですから。 「驚いたぜほんと、ベンがお前を連れてくるとは思わないもんな。」 ルシファードは、あからさまな殺気に目を眇めました。人の姿を手に入れると気性も再び蘇ると見える、と思いながら。 けれど、 「……ご主人様はどこだ」 見たこともない貝殻の道より、この世界に無いはずの月より目の前の仇敵より、一番気になっていたことをティーロはうなりました。 うっかり眇めた目をまるく開けたルシファードに構わず、 「ていうか僕のご主人様をベンとか呼ぶな!馴れ馴れしいぞお前っ」 「ぶ」 思わずルシファードの頬が変な風に歪みます。 「笑うな!大体人を犬にしておいてそれはないだろう」 「いやあ、もうお前」 「なんだ!」 割と心まで犬ですかもしかして。とは幾らなんでも言えずに、 「……犬ライフは犬ライフで結構楽しそうじゃね?ご主人様は可愛いし。ベンは弱いものにだけは優しいんだよな」 魔王は人の話も聞かずに、うんうんと頷きました。 「お前がベンの服の裾にまとわりついてきゅんきゅんなついてるのを見たときは、タチの悪い香でも焚かれたかと思ったぜ。なんせ俺たちが懲らしめた時のお前はバリバリのサ」 「うわああああ!」 「なんだよびっくりしたなあ。だってお前趣味が鞭」 「わー!わー!わー!!」
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