東の魔女と魔王の話
「――けれど本当はリラル貝の粉なんかよりも、もっとずっと月光を含ませるのによいものをあなたは持っているでしょう?」 そう、揶揄を含んだ声で言われてカジャ・ニザリは厭わしげに相手を見遣りました。 そのオレンジ色の瞳には、彼の仔犬に向けるものからは想像もつかない厭世的な色が浮かんでいました。 「何が言いたいんだね」 「いいえ、特には。あなたが提供したくないと言うものを、私が説得する義理もありませんから。お茶のお替りはいかがです?」 「お言葉に甘えるよ」 それから丁度まる一日後の夜になっています。 東の砂漠のほとりに、その曲線的な建物はありました。 優美なつるくさ模様の茶器から、飴色の湯気がたっています。その向こう、ひさしが途切れたところから、昨日とは打って変わって夜がしとしとと滲んでいます。 「雨の前についてよかったですね。今夜は月光師も嘆いている」 「雨が降ると、髪が重くていけない」 カジャは、それ以上その話に乗らぬよう目を伏せました。けれど、カップに満たされた秋の名残の薫りに、思わずうっとりとため息をついてしまいました。銀色の葡萄、ステンド硝子を透した陽だまりの匂い。 「いかがですか、新作の配合は?」 彼の目の前に立ってで自信ありげに微笑んだ麗人を、サラディン・アラムートといいます。カジャの昔馴染みで、多くの魔女が東を去った後も、砂漠にとどまり続けている凄腕です。 「悔しいが、絶品だな」 短い一言に最上級の称讃を感じ取って、サラディンは満足そうに旧友の向かいの椅子を引きました。 「あなたの可愛い使い魔は、休ませてあげましたよ。まだ幼いのに、箒の旅は大変だったようですね」 特にあなたの運転では、という一言は、友情に免じて胸に仕舞いながら。 カジャは、それが聴こえたはずもないのにふと片眉をあげました。 「使い魔?」 「ええ、あの白い仔犬ですよ。」 「あの子は使い魔とは違うぞ。ただの犬だ。たまたま私が拾っただけだ」 きっぱりと言いきる旧友に、サラディンは驚いたように、 「……それでは、使い魔に育てる気はないのですか?」 今度はカジャは虚をつかれたように、一瞬黙り込みました。 「――ない」 「何故です?あなたはこう言ったら難ですがどちらかというと頭でっかちで、薬学や魔方陣関係には才能があるけれども、戦闘や商売どころかむしろ日常生活にも能力が欠如しまくっているではありませんか。そこをフォローしてくれる存在がいれば、どれだけあなたの生活がスムーズに進むかわかりませんよ」 こう言ったら難ですが、などと言いつつ東の魔女は、全く躊躇せずにずけずけと言いました。本当のことだからです。 小さな魔女はその語り口に呆れてひとしきり文句を言いましたが、最後にこう言いました。 「私がそのうち使い魔を持つにしても、それはあの子ではないよ。魔の気配のないものにそれを植えつけるのは、私の趣味ではないんだ。」 それに答えてサラディンが何か言うより先に、燭台の灯がばちっとはぜました。――ふと、大きく炎が揺らめいて闇の色に染まるのが見え、二人は思わず立ち上がりました。 「――っぶ、は――…」 闇色の灯が長く環状に尾をひいて、それが糸のようにぱらぱらと散り、その下から人の頭が現れたかと思うと、 「――や、ベン!来てたのか」 「ルシファード!!」 長身の男の姿になった灯は、既に人間らしい姿になってテラスに立っていました。 闇色の髪だけが、その名残を留めています。 ――魔王。 普段は第六界でのんべんだらりと眠っているその美しい魔は、どんな世界へも炎一つを犠牲にすることで瞬く間に姿を現すことができるのです。 ずっと昔に――東の魔女がまだ違う名を持ち、この城の周辺が砂漠ではなかったころに、大物狙いで魔方陣を張った時、まさか魔王が現れるとは本人とて予想だにしなかったのですが。 「サラディンも、元気そうだな。今日はどうしたんだ?」 灯が消えた蝋燭にもう一度火を移しながら、東の魔女は微妙な声で言いました。 「……いえ、カジャが。使い魔を手に入れたと言うのであなたも見るかと思ってお呼びしたのですが」 「へえ、ベンもとうとうその気になったのか。」 「いえ、それが」 「私をベンなどと呼ぶな!相変わらず唐突で不躾で無礼な男だな。……それに使い魔などではない」 抗議しながらカジャが顔をあげると、サラディンとルシファードはなんだか常にも無く奇妙な表情で顔を見合わせていました。 「――どうしたんだ?」 「え、いえ……とりあえず、ルシファードに明日、彼をお披露目してもよろしいですか?」 「ああ、それはもちろんだ。彼を呼ぶのは私も賛成だったしな、まだ小さくてとても可愛いんだぞ」 知らず仔犬の話になると口調が柔らかくなる小さな魔女に、二人はまた少しだけ意味ありげな目配せをしあいました。 雨は砂漠に、音もなく降り続きます。
キィ、と扉がひらきました。 「――眠っていないでしょう?『ティーロ』」 暗い部屋の中で、決して犬の大きさではないものが、身動きをする気配が伝わってきます。 格別驚きもせずにサラディンは、後ろ手に明るい廊下を閉ざしました。同時に燭台にあらわれた柘榴石の焔が、ぼうっと部屋を照らしました。 「一目でわかりましたよ。あなたに呪いをかけたのは、彼と私ですからね」 「……っ、う」 低く呻いたのは、サラディンと同じほどの背丈、そして白い髪をした痩身の男。 「さあ、この光が届く限り偽りは許されない。ターターヤナの法廷から戴いてきたのですよ」 第二界の王の名を難なく口にして、砂漠の魔女は微笑みました。 「何故、あなたがカジャ・ニザリといたのです?」
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