東の魔女と
飛ぶ絨毯



 金色の月が昇る十月は、風のひとすじも魔の季節と言われます。
 朔日の朝から眼に見えぬものでさえさわさわとざわめき、金色の粉をさやかにまとうようでした。
 小さな魔女も、ささやかな仕事が随分と増えました。この季節の昼間にしか出来ないこと、この季節の夜にしか出来ないことはあまりにも多く、それをすべてこなして月末に備えるのは並大抵のことではありません。
 月の闇を呼吸して大きくふくらんだきのこを伐りに行き、露草色の優美な魚を罠にかけ、あるいは一日仔犬と居候を引き連れて出かけては、これも月色に染まったたんぽぽの綿毛をどっさり籠に入れて帰ってきて、それぞれを擂り潰したり油やお酒につけたり、柔らかい秋の陽射しの下でゆっくりと乾かしたりしています。
 ニコラルーンはそうやって、小さな魔女の手伝いをさせられもしますが、けれど基本的には犬をからかったり食事の支度をしたりそのあたりをうろついたりと、立派な暇人として過ごしていました。今頃教会は大忙しでしょう。十月は悪魔祓いたちもすっかり出払うのが常で、彼らと今ひとつ相性がよくないニコラルーンにしてみれば、忙しいながらも多少は気が楽なのです。
……そんなことをぼんやり思いだしながら落葉寸前の金色の森を歩き回っていると、自分がここにいることの不自然さも忘れてなんとも贅沢な気分になるのでした。

 そんな数日が経った夜、豊かに肥った月の姿に、一点の影が滲みました。
「あれ」
「何だ?」
 窓辺でカードを切っていた居候が声をあげて小さな魔女と犬がそちらを見ると、今針の点のようだった影がもう指先ほどに膨れています。窓辺に駆け寄ったときにはその倍ほどに。影はこちらへやってくるのです。カジャは身を翻すと、階段を二段飛ばしに降りて飛び出すと裏山に走りました。すぐ後ろに犬が続いていくのを見送り、ニコラルーンは様子を見ようと動きません。
「サラ!早かったな」
 カジャが家を飛び出した時にはもう、それは小さな家の裏手に着地していました。
 十月の煌めかしい漆黒の夜に、華やかな芥子の花がひらいたかと思われました。
 翡翠を削ったような髪が揺れています。
 白い苔の燐光を踏みながら長旅の疲れを露とも見せずに、サラディン・アラムートは立ち上がりました。
「この山は夜の旅によろしいですね。よく光って、目印としてはこの上ない」
「他の季節には今ほど光っていないさ。ご苦労だったな、それをあやつるのは難儀なことだろう」
「覚えてしまえば大したことではありませんよ。あなたの箒よりよほど乗り心地がいい」
 麗人は微笑み、乗って来た絨毯のほうを見てわずかに顎を引きました。絨毯は音もなく地に融けて、深紅で描かれた魔方陣に変わります。
 万一にも転用されぬよう念のためにサラディンと二人で陣の一部に土をかけながら、カジャはおや、と思って首を傾げました。
 自分の白い犬がなんだかぺったりと腹ばいになって、だらだらと汗を流していました。
「ティー、どうしたんだ?暑いのか?」
 保護色です。
 ティーロは自分の毛皮の色とこの山の苔の色が、燐光を除けばよく似た白さだと知っていたので、本能がそうしろと言っていました。ご主人様の友人であってもそれはもう問答無用に怖いのですから仕方ありません。それはその人が、自分に呪いをかけた人間の一人であるとか、そういうことはもはやあまり関係ありませんでした。
「おいで、帰るから」
 重ねて言われても、ティーロは諦め悪くいないふりを続けています。
「具合が悪いのか?」
 それにはふるふるふると首を振りました。
「仕方がないなあ……寝るまでには戻って来るんだぞ」
 サラディンは甘やかし過ぎだと言いたげに眉をあげましたが、カジャはお構いなしで踵を返しました。
「あの子は君が苦手なんだ、よっぽど予防注射が怖かったんだろう。君の根性が曲がっているのは知っているが、あんな仔犬までいじめるなんてどうかしている」
「………。」
「夕食には少し時間が遅いが、何、うちの居候に言えば何かつくるだろう。せっかくだからゆっくりしたまえ」
 



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