ピ グ マ リ オ ン

 



「……あんたたちさ、なんかあったのか?」
 そう旧来の友人と言うか甥っ子のような存在というか、そんな感じの相手に突然言われてニコラルーンはぽかんとした。言われた一瞬その言葉を受け流しそうになり、遅れてきた芝居の台詞を俯瞰するようにして理解する必要があった。
 あんたたち。
 そんな言い回しでまとめて引き取られるべき関係の相手は自分にはなかなかいない。そう思いかけて最近はいないとは言えないかも知れないと思考を修正したがしかし驚きだった。不愉快かどうかはともかく、許容してもいいものだろうか。それで簡潔に聞き返した。
「何が?」
 自販機のコーヒーを奢ったところだった。ニコラルーン自身は紅茶を選んでいて、相手とは壁を背に隣り合ったままだ。なんとなく困った時に習慣になってしまっている笑顔を振りまいたが、そういうわけで特にそれを見せる相手の当てもない。
「おー」
 向こうの……廊下にちらりと白い影が横切って、ルシファードが隣家で飼われている動物に対するように手を振った。忙しそうだ。この誰に向けるともつかぬ妙に全開だった笑顔を見られただろうか。それは大層変な男というイメージを新たにされたことだろう。
「うん、だからあの、彼」
「何で?」
 妙に身構えているのが自分でも解った。おかしい、別に何もないはずなのに。
 横目で見る黒髪の長身は、奥歯に物が挟まったかのような口調を自分でも柄にも無いと思ったものか、右手で頭を掻いてそのまま壁に寄りかかり座り込む。
「こら。行儀悪いなあ」
「そーいうあんたはいつも紳士然としてるよな」
「それは褒められているのかな?」
 紳士でもないくせにというウラがあるのか。
 ルシファードはそれから信じがたいことに、一息で熱いコーヒーを飲み干して立ち上がった。
「ニコラルーン。ちょっと」
「えええ?待ってくれ」
 ニコラルーンは焦る。別に自分は猫舌ではないと思うのだが。
「私は自分でお金を出したお茶ぐらい、きちんと味わって飲み干したい」
「……それは拘るところなのか?」
「ラフェール、財政苦しいから……」
「……」


 それから五分後、きちんと紙コップは燃えるごみに捨てて、やってきたのはとある扉の前で。
「ほい、入れ」
「……ルーシー、何の真似?」
 ルシファードは片手でそのドアの取っ手を掴み、もう片手でニコラルーンの身体をさりげなく支えていた。つまりエスコートだ、これは貴婦人令嬢に対する扱いである。
「なんか前も言った気がするけど、私は男なんだけど。こうやってされるとさすがに違和感っていうか。変じゃないか?」
「だよな」
 スクリーングラス越しではよくわからないが、ルシファードは頷いた。どうやら大真面目らしかった。
「でもドクター・ニザリも男だと思うぜ、俺は」
「はあ?……あ、あれ」
 そこで漸く思い出した。感応した相手の脳裏に浮かんでいた場景は、えーと、いつだ。そういえば、
「あまりに自然で受け流しちゃったんだけど、なんでこの間二人でと歩いてる時、わざわざドアを開けてやってたんだ?」
 場所を変えてまでの回りくどい説明に突っ込みを入れたかったが、自分の行動の意味不明さはその追及を後回しにさせた。
「あれ、何でだ……?うーん、なんでだろ?」
「いや、だから、それが気になって俺はさっきから聞いているわけで」
 ニコラルーンは思い出そうとする。別に彼が荷物を持ったりしていたわけではなかった。(というか私が持っていた)それでもコンパスの差で少し彼が遅れていて、当たり前のように華奢な肩を支えて扉を開けた――。
「……なんか、気づいちゃって凄く理不尽な気分……」
「なんだそりゃ」
 だってあの傲慢な白氏は、それで驚きも抗議もせずに、当たり前のように開かれた扉を通ったのだ。もちろん礼だって言われなかった。私は別にあの子の騎士や従僕じゃないぞ。
 しかしその軽やかな姿の、なんと自然体だったことか。
「まあ、それについては二人で話し合ってくれ……。多分向こうはまだその事に気づいてもいないが」
「なんなんだろうね白氏って……」
 ちょっと二人でげんなりした笑みを交し合い、それからニコラルーンは硬直した。
「あのさ、ルーシー」
「ん?」
「……なんでその説明に、よりによってこのドアを選んだんだい?」
「え?丁度このドアの向こうに呼ばれてたから」
 私は別に呼ばれてないんだけど!
 しかしその抗議を聞く間もなく、男の腕がそのままにドアを開いた。室内の麗人が振り返る。
「こんばんは、大、尉……!?」
――――勘弁してください。
「ドクターこんばんはー。用事って何?あ、そこで一緒になったからニコラルーンも連れて来たぜ」
「……ほう」
 ああサラディン・アラムートの内面を襲っている嵐が分かるテレパシストじゃなくてもこれは分かる。鈍い黒髪の男が気に食わない情報部員を何故かわざわざエスコートしながら部屋に入ってきた時の心情など、むしろ読みたくもないというものだ。
 だからといって事情を説明して相手にその分析をされるのも願い下げで、ニコラルーンは逃げ道を探そうと慌しく辺りを見回した。






 ブラウザバックボタンでお戻りください